行ってきました、関西花の寺 第25番霊場 観心寺(かんしんじ)。梅が見ごろ。
昨夜、地図でみたところ、自宅から約45km。
「走ってみようか」と思い目覚ましを朝6時にセット。見事に寝過ごし、8時起床。
「・・・ん~、しゃーない、こうなったらたっぷり朝ごはんも食べよう・・・なんとかなるだろ・・・」
結局、9時出発。
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3時ごろには着くかな、と思いつつ走っていたら・・・4時間ぐらい走ったところで住宅街に迷い込んだ・・・。
しばらくグルグルさまようこと数十分、やっとこさ大通りにでたら方向がわからない。
勘で「こっちだ!」と思い走っていたら、コンビニ発見。
道を聞くと、逆方向・・・。
バイクで逆走してもたいして苦にならないが、クタクタになって走っているところが逆走だと、精神的にかなりのダメージである。
時計を見ると、午後3時。
ここから車でも30分以上はかかる、しかもかなり山手だとのこと。
コンビニのお姉さんがかなり親切に教えてくれた。
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「でもなぁ・・・ここまできたら走っていきたいよなぁ・・・」などと思いながらも走っていると、聞いたはずの道を思い出せない。
あぁ、やばい・・・かなり思考力が低下してきてる・・・このままでは時間内にたどり着けないかも・・・どうする・・・?
コーナン発見、駐車場係りのおじさんに道を聞く。
「河内長野?ここから12kmはあるよ。もう少し行ったら川西の駅があるから、そこから電車に乗りなさい。」
思わず「ハイ、そうします」。
結局、35kmぐらいは走ったのだろうか?
そこから電車とバスをつかい、どうにか午後4時すぎに到着した。
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ちょうど、団体さん向けの説法が終わるか終わらないかぐらいのところだった。
・・・これが・・・すごくよかった・・・。
目頭を押さえてる人も数人。あぁ、最初から聞きたかった・・・。
話の内容もさることながら、住職さんの落ち着いた声のトーンが、なんともいえず胸にぐっとくる。
団体さんが立ち去ったあと、手を合わせに行こうと立ち上がったら、手に持っていた帽子を落としてしまっていたようだ。
住職さんが、後ろから声をかけてくれた。
終わりかけにそっと後ろの方に座っていただけだから、自分からはどうも声をかけにくかったのだが、これもなにかの縁かもしれない。
思い切って、「御朱印を集めたいのですが、写経はどうしたらいいんでしょう?」と聞いてみた。そこから色々話をしてくださった。
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「形式だけにとらわれるよりも、心の状態が大切なのです。
『自分はなにも見なくてもこんなにスラスラお経が読める』とか、
『習字の練習だ』というつもりで雑念だらけで写経していても意味がありません。
心を落ち着けて、『南無(なむ)』であることが大切なのです。
南無阿弥陀仏、というでしょう?
この南無とは、『すべてをおまかせします』という意味です。
目先の願い事を『絶対かなえてくれ!!』というよりも、
なすべきことを懸命になし、
その上ですべてをおまかせしたほうが、
結果的に得るものが大きいものです。
まずは心を落ち着けることです。」
イライラしながら写経するぐらいなら、リラックスできるならヨガとかアロマとかしてるほうがよっぽど仏に近いらしい。
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思わず、「すぐイライラするんです!!」と口から出た。
ちょっと「しまった」、と思った。
見透かされてしまう気がして、後ろめたかったのだ。
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「そうですか。腹式呼吸ができますか?」
「は?」
「怒りっぽい人というのは、たいてい腹式呼吸ができていません。
『息』は、『自らの心』と書くでしょう?
呼吸というのはすごく大切なものなのです。
怒っているときの息遣いは荒くなりますしね。」
・・・なるほど・・・。
「コツは、まずゆっくり長く息を全部吐き出すことです。
入ってくるのは勝手に入ってきますから。
入ってくるときにお腹がふくらむようになれば落ち着いてきた証ですね。
常に腹式呼吸であることが望ましいのですが、
1日数回でもいいですから、意識してそういう時間をとるといいですよ。」
はい、ぜひやってみます。
イライラしたら思い出してやってみよう。誰にも気づかれずに(?)すぐできる。
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数日前、とある人のとある言動に「カッチーン!!」きて、腹が立つやら情けないやら、自分が悪いのやら、でも納得いかないやら・・・。
結局怒りを抑えきれずに、必殺「聞こえないフリ」で怒り爆発オーラを出していたら、相手のほうが私にめちゃめちゃ気を遣い始めた・・・。
しかし自分が正しかろうがなかろうが、怒ったあとというのはたいがい後味悪い。
・・・他の人ならもっとうまくやれるのか?結局、私のほうがいらない人間なんじゃないのか?もう、ここからいなくなった方がいいんじゃないか・・・?
だんだん、わけわからなくなって落ち込んできた。勝手に、寂しくて悲しくて仕方ない。
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「イライラしているときになにかを決めようと思っても、
うまく判断できないことが多いでしょう?
常に落ち着いている、というのはメリットが大きいのです。
畑に種を蒔く、と考えてごらんなさい。
荒れた畑に種を蒔いても芽は出ません。
種を宗教であると考えてみましょう。
どの宗教であったとしても、
心が耕されていないことには芽が出ないのです。
宗教の違いというのは種の違いぐらいのことであって、
畑を耕すのがいかに大切かわかるでしょう。」
・・・はい・・・
「自分の心が落ち着き、振る舞いがかわってくればおのずと周囲の様子も変わってきます。
家族も笑顔になっていきます。」
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今日も本当は体調がいまひとつで、出かけるのやめようかとも思った。
走っている間も足が痛いし頭もクラクラするしで、実は楽しいどころではほとんどなかった。
「なにをどうすりゃいいのかわからない」ばかりで、家にいてもさまよっているぐらいなら、体のほうから追い込んでみようと思ったのだ。
でも、来た甲斐あった。時間内にたどり着けて、本当によかった。
道を教えてくれた人たちや、住職さんのおかげだ。
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ずっとずっと話を聞いていたかったが、そうもいかない。
駅までの道を丁寧に教えてくださったおかげで、
無事に帰宅することができた。
心を、しっかり耕していけますように・・・。
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